愛の形を問う言葉。わたしも一緒に頑張ろう。お前が望むように強くなる。と、父親が息子を抱きしめて受け入れる。
息子が父親の脚にすがって、親の愛情に甘えることが悪いことではないと頑なだった心を解放する。
映画「理由なき反抗 Rebel without a couse 1955 」のラストシーンです。主演はジェームス・ディーン。わたしの母も映画の話題となると良くジェームス・ディーンの話をしていました。母にとっては「エデンの東」が印象的だったようです。映画は好きで良く観ていたようですが、映画とスターをきちんと結びつけて話題にしていたことは少なかったと記憶しています。映画の配給の中継ぎ(事務仕事でしたが)の仕事をしていた時代とは違うので嫌なことがあると映画館に言っていたと話していたので、その時分にでも観たのでしょうね。
NHK Bs-hiで午後3時から放送されましたが番組告知は観ていたものの今日の放送だとは思っていなかったので、初めから見始めたのは偶然なのか?
思い返せば、台所に立ったついでに仏飯(ぶっぱん)をあたらしくしてお線香を上げたのは偶然ではないでしょう。きっと母と一緒に見ていたのでしょうね。
わたしは親の愛情に甘えっきりのままでしたが、映画「理由なき反抗」の主人公は件名に自分だけで道をさがしてもがいています。そうした生き方の時代だったのでしょうね。特に若い男性は。時代は20年周期で揺れていると言いますけれども、ジェームス・ディーンの嘆く姿を観ていてランボーのシルベスター・スタローンの表情が重なったのはわたしだけの勝手な印象でしょうか。
仲良し家族というのがあります。友達同士のような親子の姿は、微笑ましいし日常はその方が良いとも思うのですけれども、仕事で同棲を指導するのが骨折れることであるように父親は息子に男親として接しなければいけない時がある。母親にとって娘というものは接し方の難しいところもあります。
ジェームス・ディーンが映画が始まって10分のところで、警察署でふてくされながら口笛で吹いているのが「ワルキューレのテーマ」です。溺愛している娘の言うことにはうんと言ってしまう父親。娘は戦乙女のブリュンヒルデ、男勝りのマイペース。父親は神々の長ウォータンで契約を司っています。世間体は厳格な父親です。
最初ウォータンはブリュンヒルデにジークムントとジークリンデの若い夫婦を見守るように命じます。しかしブリュンヒルデが父親の命を実行に出かけてしまったあとで、ウォータンの妻がやってきて祝福をされた結婚ではないから夫婦とは認められないと夫ウォータンに詰め寄る。「契約の神なのだから筋が通らない」と。
ウォータンはブリュンヒルデの後を追って前言を撤回するのですが、けなげな若い2人に心ふるわせてしまっていたブリュンヒルデは可愛そうだと懇願。それに「お父様は護れとおっしゃった」と言い返す。表向きと内心、妻と娘の2人の女性の間に立って自分の立場を作ろうとする夫。ウォータンの妻フリッカも、直接娘ブリュンヒルデに言えばいいものを言いにくいものでもあったのでしょうね。
ジェームス・ディーンのファンは多いし、映画「理由なき反抗」もたくさんの研究がされていると思います。映画の冒頭で口笛で吹いていたので、解釈は色々でているでしょう。わたしはジェームス・ディーンと父親、そして夫婦というものを楽劇「ワルキューレ」に遠からずなぞっているのではないかと感じました。
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