2011年1月12日水曜日

熊本のお雑煮は「おすまし」

って断定できないって、お正月になると台所を手伝うようになった頃から母に毎年のように教えられていました。子供の頃は暮れ、正月はテレビもごあいさつ番組ばかりでしたから、面白いことと言えば母を手伝って台所に立つことぐらいでした。大晦日になるとお米屋さんからたくさんのお餅が届けられました。それを風通しの良いところに新聞紙を拡げて重ならないように1個1個並べる。その最適な場所がわたしの部屋だったから暮れからはお餅さんの専用部屋。こっそり覗くと話し声が聞こえるんじゃないかと思っていたのは、笠地蔵がしっかり印象に残っていたからでしょうね。

一方が出入り口で、三方が窓だったので風の通りは1番。西日さえ用心しておけば、レコードの保管にも最適でした。

さて、熊本は丸餅なのですけれども2度ほど角餅だった年がありました。初めてお餅を並べる手伝いをした頃だったでしょうか、お米屋さんが間違って届けたのか、違うお店にお願いした時だったでしょうか、勝手が違うので母も悩んでました。

熊本は大きく東部=山、西部=海、中心部=市内でそれぞれ違います。最初の頃のお雑煮はおすましにお餅を入れて煮ていましたけれども、あとからはいったん焼いたお餅を入れるようになりました。母の流儀だったのか、父の家の決まりだったのか。父が元気な時にはまず年最初のお雑煮は、お餅は煮ていたようです。水前寺もやしにするめ、人参、八頭。きっちり材料を調えていた母が今思い返せば健気。

最初だけで次からは母の好みの作り方だったのは、意地だったのでしょうね。亭主の家の流儀に倣えとはいっても、自分の作り方を忘れないために維持するのも大切だと学ぶところでしょうか?

 

「日本のお正月~お雑煮をめぐる物語~」via konishi.co.jp

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