第1番の『実用にも使える鑑賞するワルツ』路線を引き継いでいながらも優美さでは秀逸、内容豊かなワルツの傑作です。しかし、この2番と3、4番の3曲は『3つのワルツ 作品34』としてショパンに無断で出版されました。2番は1835年、3番は1834年、4番は1838年の作曲と、新旧の作品が入り乱れています。
出版は1838年、パリのシュレジンガーの勇み足です。当時パリでの、ショパンの人気が評判よかったことが伺えるエピソードです。この頃ショパンはパリから遠く離れた、マジョルカ島のパルマでジョルジュ・サンドと生活していました。このマジョルカ島から友人のフォンターナに宛てた1838年12月28日付の手紙に『シュレジンガーはろくでなしだ。僕のワルツを1つのアルバムにして、ブライトコプフに売り飛ばそうとしたのです』と書いています。
そしてフォンターナへの連絡が間に合ったのか、パリ初版譜を見る限りショパンが最終的に曲を練り直していることは明らかです。
自筆譜が書かれたのは1835年9月15日。二十歳になってウィーンに出てくる時に別れたきりになっていた両親と、この年の夏にチェコの別荘で再会します。5年ぶりの家族との滞在は3週間続き、見送る途上でボヘミアの貴族に招かれます。そして完成した『ワルツ第2番 変イ長調』は、このホーレンシュタイン伯爵の令嬢、ヨゼフィーナに贈られることになります。
ショパンを演奏するピアニストは出版譜と自筆譜を比較して自分の演奏を整えていきます。『第2番』の出版された楽譜では速度記号は『Vivace』となっていますけれども、自筆譜はホーレンシュタイン伯爵の二人の令嬢、アンナとヨゼフィーナが所有していたアルバムに残されていて、これでは『Tempo di Valse』となっています。こうした経緯から、変化に富んだ演奏パターンがあって5番のワルツとこの2番のワルツは技術的難易度の高い曲です。
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