2010年6月26日土曜日
CHOPIN HITS IN STEREO HI-FI - WESTMINSTER WST-14055
後ろ姿の女性のドレスの柄だと思って良く観ると、裸のお尻。チェックの柄は照明が当たっているのですね。1950年にアメリカで発売されたクラシックのLPレコード・ジャケットです。米ウェストミンスターのまじめな録音で、内容は正当なピアノ独奏です。最初はわたしもオーケストラ編曲されたステレオ録音のデモンストレーションのための録音だと勘違いしましたけれども、けしてポピュラーアレンジされたものではなくて、演奏者もデビューする新人を目立たせるような色物ではありません。
1950年から60年頃までにかけてアメリカで発売された、クラシックのLPレコードにはユニークなジャケットデザインが思いの外多くあります。
Chopin hits in stereo hi-fi
- Polonaise no. 6 in A flat major, op. 53 : "Heroic":ポロネーズ第6番、作品53「英雄」
- Waltz no. 6 in D flat major, op. 64, no. 1 : "Minute waltz":ワルツ第6番、作品64第1「仔犬のワルツ」
- Nocturne no. 2 in E flat major, op. 9, no. 2:夜想曲第2番、作品9第2(愛情物語)
- Polonaise no. 3 in A major, op. 40, no. 1 : "Military":ポロネーズ第3番、作品40第1「軍隊」
- Fantaisie-impromptu, op. 66:幻想即興曲、作品66
- Waltz no. 7 in c sharp minor, op. 64, no. 2:ワルツ第7番、作品64第2
- Waltz no. 2 in A flat major, op. 34, no. 1:ワルツ第2番、作品34第1
- Nocturne no. 8 in D flat major, op. 27, no. 2:夜想曲第8番、作品27第2
- Mazurka no. 5 in B flat major, op. 7, no. 1:マズルカ第5番、作品7第1
- Barcarolle in F sharp major, op. 60:舟唄、作品60
ピアノ演奏:Yuri Boukoff (1, 4)、Paul Badura-Skoda (2, 7, 8)、Raymond Lewenthal (3, 5, 6)、ja Nadia Reisenberg (9, 10)
1950年発売、ステレオ、12インチ盤。
中古盤相場は、1,500円ほど。
とあるウルトラマンの変容...
唇がいやらしい。--- とある不思議な顔つきのウルトラマン。ずっと昔の記憶で夏祭りの頃、親戚のおじさんがお土産にウルトラマンのお面を下さいました。一瞬明るい顔で嬉しく受け取ったものの、次の瞬間に無視をしてしまって周囲を戸惑わせました。わたしにとっては観たことのない異様なウルトラマンに感じられて怖かったんです。
偽物のウルトラマンだったのか、似ているキャラクターだったのかは分かりませんでした。いずれ知ったのが楳図かずおさんが描いたウルトラマンのコミックがあると言うことでした。映画のノベライズのようにコミック化されているウルトラマンをいくつか読んだ中でも、動きが生き生きとしていると感じました。
宇宙から来たヒーローと言うよりも、宇宙人から命と超能力を貰った地球人ハヤタの活躍という感じです。目が大きいところ、耳の特長も視力の良さ、聴力も遠くで落っこちた針の音も聴こえるって言うのがウルトラマン図鑑にあったように記憶しています。どちらが先なのかは分からないけれども、石ノ森章太郎さんの「仮面ライダー」のルーツにもなっているのではないかしら。
とある男性の変容...
「これが http://twitpic.com/t1ah4 こうなりhttp://twitpic.com/t1adg こうなったhttp://twitpic.com/1ddlwf」
わたしは素敵な“変容”だと思います。お仕事は海の研究者だと伺ってます。2番目の写真に真っ先に気持ちが動かされました。わたしの悪いSAGAでしょうか。
ワルツ第14番 ホ短調 遺作 1830年作曲、1868年出版
作品番号のあるショパンのワルツは13曲。14番以降の曲は総て「遺作」となります。第14番から第17番まではナンバリングが付いていることもありますが、この「ホ短調のワルツ」よりもワルツ第15番ともされる「ホ長調のワルツ」は7年先駆けて1861年に出版されていますから、しばしば入れ替わることがあります。
ピアニスティックな曲で遺作の中でも人気があるワルツです。曲の冒頭に速度表記はなく、ホ長調の中間部に「ドルチェ=優しく」と表記があります。1830年の作曲、ホ短調で書かれているのでピアノ協奏曲の代替え曲として書く留められたのではないでしょうか。3部形式で主部は8小節の序奏の後にホ短調で示される躍動感あるフレーズで、跳躍が多くショパンのワルツの中では演奏技術の難しい作品になっています。対してホ長調で始まる中間部は甘美かつ優美であり、束の間の心地良い夢といった趣です。それが終わると主部が短く再現された後、華やかなコーダに入り華麗に終わります。第1番、第2番、第5番と並び、演奏技巧の難しい華麗な舞踏用の円舞曲の典型といえます。
ワルツ第13番 作品70第3 1829年作曲、1855年出版
楽譜に献呈の名前はない。でも、作曲当時19歳のショパンはワルシャワ音楽院で一緒に学んでいたコンスタンツィア・グヴァドコフスカに恋していました。その想いは親友ティトゥスに手紙で打ち明けています。
「僕は悲しいかな、僕の理想を発見してしまったのだ。もうこの半年間というもの、毎晩のように彼女の夢を見ているが、まだ一度も口をきいていない。僕は心の中で彼女に忠実に仕えてきた。彼女のことを夢に見、彼女のことを想いながら僕はコンチェルトのアダージョを書いた。そして今朝、このワルツを書いた。君に送ろうと思う。この ワルツの中間部の左手の最高音に託した僕の思い、きっと君なら分かってくれると思う。」
これがコンスタンツィア本人に渡した手紙ではなくて、唯一の胸の内を打ち明けられる親友への手紙であることがショパンの純情を感じられていじらしい。このティトゥスはショパンより2歳年上、兄のような存在だったのでしょう。
曲はモデラートの速度表記。ゆっくりと散歩をしているような叙情詩的なワルツです。右手が2声になっているので弾きわけることが求められます。わたしたち聴き手としてはショパンとコンスタンツィアを聞き分けるようにしましょう。変ト長調の中間部の左手の音型は特徴的で左手の最高音の変ホ音には彼女を思う熱い思い、やるせない情熱が込められており静かな魂の叫びに聞こえてきて聴く人の胸を打ちます。女性を思う気持ちが最高の形で昇華された傑作だと思います。
ワルツ第12番 作品70第2 1841年作曲 1855年出版
ピアノの音が小さすぎる・・・パリに出てきて行ったピアノ・リサイタルで、ホールでの演奏家としては致命的な評価をされたショパン。幼い頃から親しい人たちに囲まれて静かにピアノ演奏をすることが出来たショパンにとっては、ざわついた聴衆を引き寄せるような演奏は出来なかったことでしょう。
ショパンが好んだピアノも弱音が綺麗なピアノでした。マジョルカ島に持ち込んだプレイエル社の最新型のピアノは、アップライト・ピアノのようです。
ワルツ第12番はマジョルカ島からマルセイユのノアン館に戻ってきてから作曲した、叙情的なワルツ。ヘ短調で書かれているからでしょうか、ピアノ協奏曲の幸福な情景に似ています。ゆっくりしたテンポで、優美であでやかなワルツ。二部形式で、ヘ短調に戻らないまま変イ長調のまま終わります。後に来るものを待っているような感じで、聴き終わったあとに音符が中に残ったままになっているような感じを受ける曲です。楽譜はマリー・ドゥ・クルトナー嬢の他ピアノの弟子たちに献呈しています。
ワルツ第11番 作品70第1 1832年作曲、1855年出版
死後6年経過してから出版された「3つのワルツ」。「別れのワルツ」を含んだ作品69と一緒に5曲の「ワルツ集」として出版しなかったのは何故だろう。
ワルツ第11番は、仔犬のワルツと並んで1分少々で唐突に終わってしまう短い曲です。ウィーンのプラーター公園で聴こえてきそうな、親しみやすさがあります。恐らくサロンで即興的に演奏した曲を忘れないうちにと書き留めたものではないかと思われています。
作品70の3曲は、
- ワルツ第11番 変ト長調 1832年作曲
- ワルツ第12番 ヘ短調 1841年作曲
- ワルツ第13番 変ニ長調 1829年作曲
寄せ集めのような感じはやむを得ずですが、3つのワルツで1曲という校正になっているように聴く事が出来ます。そう考えると、メランコリックな曲調の2曲を作品69として別に曲集としたいとも分かるようです。
ワルツ第10番 作品69第2 1829年作曲、1855年出版
貴族夫人や令嬢、ピアノの弟子に献呈されている曲がほとんどの中で、19歳の時に作曲した「ロ短調のワルツ」はウィルヘルム・コルベルクに献呈されています。1829年の作曲で、姉のルドヴィカが「未出版作品リスト」に記録していました。自筆楽譜は残されていません。
ポーランド時代、19歳で作曲したワルツの秀作のような存在だけれども第9番の別れのワルツよりも、こちらの方にがより「別れのワルツ」と標題をつけた方がふさわしいようですね。
ワルツ第10番 作品69第2 1829年作曲、1855年出版
貴族夫人や令嬢、ピアノの弟子に献呈されている曲がほとんどの中で、19歳の時に作曲した「ロ短調のワルツ」はウィルヘルム・コルベルクに献呈されています。1829年の作曲で、姉のルドヴィカが「未出版作品リスト」に記録していました。自筆楽譜は残されていません。
ポーランド時代、19歳で作曲したワルツの秀作のような存在だけれども第9番の別れのワルツよりも、こちらの方にがより「別れのワルツ」と標題をつけた方がふさわしいようですね。
ワルツ第9番 作品69第1 別れのワルツ 1835年作曲、1855年出版
作品64の「3つのワルツ」を出版した2年後、ショパンは亡くなります。39歳、病死でした。大量の喀血をして長い間ベッドでの生活が続いた後のことでした。生前最後になったのは作品65のチェロ・ソナタ。それ以降の曲は作品番号があってもショパン自身のものではなくて、友人だったフォンタナが自筆譜を整理して出版したもの。フォンタナが作品66という番号をつけて出版したのが有名な「幻想即興曲」。ショパンの作品は出版されたものはまんべんなくビジネスとして成功しています。
それまでの作曲家は、出版された楽譜が大ヒットしても出版社に楽譜を渡したらその時に支払われる金額で終わりと言うことが少なくありません。でもショパンは、同じ楽譜をパリ、ロンドン、ベルリンの出版社からそれぞれに発売。これは当時当たり前のように行われていた海賊版楽譜への先制パンチとなる策でした。
自筆譜と初版譜に違いがあることがショパンを演奏するピアニストにも、その録音を聴くわたしたちにとっても楽しい作業です。現在、コルトー版、パデレフスキ版、原典版と楽譜は容易に手に入ります。同じ曲で、同じ演奏家でも、レコードと演奏会では違う組み合わせで弾いていることは珍しくありません。
さて、ショパンのワルツは1960年頃までは14曲が録音されているのが普通でした。ショパンの死後「ワルツ集」として出版された楽譜は2冊。
- 第9番、第10番 作品69 1855年出版
- 第11番、第12番、第13番 作品70 1855年出版
- 第14番 遺作 1868年出版
今わたしたちがCDで「ワルツ集」を購入すると、19曲録音されています。CDを聴く便宜上15番、16番とナンバリングされていることがありますが20世紀になってから見つかった曲で、イ短調のワルツは戦争中に発見されて1955年に出版されました。最近の録音でも14曲だけを録音しているピアニストは多くて、手元にお持ちの「ワルツ集」が19曲録音しているCDだったらおまけだと楽しむのが良いでしょう。
ショパンの死後に遺作として出版された第9番から第14番のワルツの中で、標題の付いている大人気のワルツが第9番「別れのワルツ」。しかし「別れのワルツ」が出版されることをショパンは喜ばないでしょう。
ショパンがパリで作曲したワルツを公開したのは12曲。それ以外の曲は全くのプレイヴェートのための作曲です。
ワルツ第2番で触れた思い出話がこの曲ではもっと重要なものになります。1835年の夏。25歳のショパンは、ワルシャワを旅立つ時に別れて5年ぶりにチェコの別荘で3週間の楽しい時を過ごします。「この日が来るのを本当にどんなに長く僕は待ち焦がれていたかを考えて下さい。幸福、幸福、幸福なのです。僕は嬉しくて、息が詰まるほど接吻します」と本当に嬉しい様を姉への手紙に書いています。事実、両親との時間はこれが最後になります。
この帰りショパンは、ドレスデンに立ち寄ってヴォジンスキ伯爵家をたずねます。ここの長男フェリックスがワルシャワ音楽院時代の学友だったのでした。そしてフェリックスの妹のマリア・ヴォジンスカ(ショパンより9つ年下の16歳)に恋心をいだきます。そのマリアに贈ったのが「変イ長調のワルツ」。ショパンの家柄、人となりは分かっていたので好意的に話は進もうとしていたのですけれども、1つだけ条件がありました。それは病気を治すこと。
結局はショパンの肺病が治ることはなく、マリア・ヴォジンスカとの婚約は2年後にたち切れとなります。この婚約が解消されて別れる際にマリアは2年前に贈られた楽譜を、ショパンに返します。それから18年後、ショパンの遺品を整理していたフォンターナがこの変イ長調のワルツの楽譜と、マリアとマリアの母親のテレサからの手紙の束を発見します。そして手紙の束と一緒に、別れ際にマリアが手渡した一輪のバラが残されていたのです。そのバラにはショパンが書き残した一文が添えられていました。その言葉は「我が悲しみ」。
この「変イ長調のワルツ」が、ワルツ第9番「別れのワルツ」という名前の由来です。楽譜には「マリア嬢へ。1835年10月、ドレスデンにて」と記されています。曲は「分かれ」から連想する悲痛なものは感じられません。むしろ直前の5年ぶりに両親と過ごした幸せの日々の喜びの感情が漂っています。しかし、両親とはまた会えるだろうかという寂しさもあったのでしょう。その寂寥感がこの曲に留まっています。
6月24日、サッカー・ワールド・カップ応援中のポロリ⓶
システムを外付けハードディスクに移行
右端が3センチ、5センチと表示されなくなって。光の加減では避けることも出来たストライプのカラーも色とりどりになって、ついにディスプレイの半分を覆ってしまった。
アプリケーションのウィンドウを狭くしながらしのいでいたのだけど、もうそれで応じられなくなった。Windowsとは違ってMacは左側に、アプリケーションのウィンドウの開閉、メニューバーのリンゴマークがあるので救われていた。
新型のiMacが7月に発売されるのが目の前だったけど、やむを得ず新モデル発売の二日前にレパード・マシンを購入。システム情報の移行となった。
あとで調べて分かったことだけど、ディスプレイの製造工程上の問題を抱えていたようだ。
ワルツ第8番 作品64第3 1846〜47年作曲
生前にショパンが出版したワルツは、この第8番が最後になります。ショパン自身が出版前に見直して大きく書き改められた曲もあって、自筆楽譜との相違は演奏者もまた録音を聴くわたしたちも楽しませてくれます。
- 第1番 作品18 出版:1834年 ショパン;24歳。
- 第2番、第3番、第4番 作品34 出版:1838年 ショパン:28歳。
- 第5番 作品42 出版:1840年 ショパン:30歳。
- 第6番、第7番、第8番 作品64 出版:1847年 ショパン:37歳。
4回の出版で全8曲。感覚の開きがハッキリとしています。ショパンが目を通して許可した出版譜で、3曲の作曲の時期の違う作品34は仕方がないとして、全3曲を一対に構想されている作品64は3曲の関係は面白いです。
わたしが感じるのはワルツ第6番、第7番、第8番に共有のものは「生命」ではないでしょうか。仔犬でも子どもでも構わないけれども、命の輝き肉体の健全な事への喜びを憧れの思いで観ているようなワルツ第6番。第7番は病気への不安、第8番は心配するよりも残す子どもたちや愛する妻を遠くから見守ろうという平安。達観した平安とは違って少し千鳥足で雲の上を歩いているような感じがします。
しかし、ショパンの全作品の中でもこのワルツ第8番は晴朗な音楽になっています。人なつっこい親しさは感じられないでしょうけれども、聴き込むとワルツ集の中で随一の曲だと思えるようになる事でしょう。楽譜は、カトリーヌ・ブラニツカ伯爵令嬢の献呈されました。